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軽演劇の凋落とストリップ・ショウの拾頭

2014-02-18

終戦早々の東京には次のような新興劇団が互いに縦合集散しつつ出現した。
○「新風ショウ」-伴淳三郎・藤尾純・河津清三郎・武智豊子が主体で、これに宝塚から春江ふかみ・呉竹なおみが参加、作家には斉藤豊吉・山本紫郎などがいた。
○「空気座」-小沢不二夫、小崎政房らがスタッフとなり、潰れかかった寸前に新宿帝都座五階の小劇場で田村泰次郎の「肉体の門」をやり、これが大好評で息を吹き返した。回附潤・有島一郎・滝那保代・露原千草・左ト全、それに喜頓一座出身の三条ひろみなどが主な顔触れだった。
○「劇団新風俗」ー有吉光也のワンマン劇団で、浅草常磐座にあった。もとの名を「東京フォリーズ」と称した。
その他堺駿二・丹下キヨ子らの「東京レビュー」、水戸新太郎の「夢の王国・キドシン一座」、河津清三郎・本郷秀男の「劇団黒潮」、桜むつ子・伴淳三郎の「東京ロックショウ」、北里俊夫らの「アパン・ギャルド」、石田守衛・堀井英一らの「新カジノ・フォーリー」、山形勲・鈴木光校らの「文化座」、三角究ひきいる「人生坐」、高杉山た・丘秘児らの「劇団美貌」、桜むつ子・多々バ純の「新風俗」、山下三郎主宰の「新潮」、高尾光子劇団、三木知郎劇団、「なやまし会」と、「ドリーム・グループ」、「東京ブギウギ・バッテリー」などがあり、また戦前派としてはエノケン・ロッパが各々一座をひきいていたし、また邦楽座(後のピカデリー)には小堀誠・花柳小菊・桑野通子らの「明朗新喜劇」などという劇団があった。

ターキー・森川信などの一応は二十二年ごろから次第に不振となり、また清水金一も「金ちゃんのマラソン選手」、「シミキンの拳斗王」など映画で活躍する割合に舞台では振わなかった。
当時軽演劇の拠るところとしては、浅草では松竹座・常磐座・ロック座・大都劇場、新宿では、第一劇場・ムーラン・帝都座五階、丸の内では日劇、有楽座・日劇小劇場・池袋では池袋文化・アバンギャルド・人生坐などであり、また渋谷では渋谷東宝、それに東横デパートを改装して――私の記億よれば――三階に映画館を三つばかりと、四階に寄席(東横名人会とか称していた)を一っと実演劇場を二つ造った「東横アミューズメント・ストア」というものがあった。また丸子多摩川の多摩川凶遊同地の中にも多摩川倒劇場があったし、芝町村町の飛行館でも三木鶏郎劇団が「アイスクリーム娘」などというミュージカルを、公演していたのを見た覚えがある。
しかしこういった喜劇軽演劇はいずれも二十五、六年ごろになるとまったく不振状態に陥り、やがてヌード・ショウのすさまじい攻勢の前に屈した。

昭和二十二年一月、新宿帝都座五階の小劇場で突如上演された「額縁ショウ」は都民のど胆を
抜いた。これぞわが国におけるストリップ・ショウの濫觴で、この場合はストリップといってもただ泰西名画をパックに、裸女が額縁に収ってポーズをとっているといっただけのもので、それもホンの数秒で暗転してしまうものであったが、当時まだ裸というものに馴れていなかった観答には刺激と興奮を与えるに充分であった。
この企画を立てたのは秦豊吉で、演じたのは当時ダンシング・ガールとして入座していた十九
才の甲斐美春だった。詰めかけた客はそれこそしわぶき一つせず生唾を呑み込んでその豊麗な肌を見詰めた。これがパカ当りをして、このシーン一つを見るために連日通う客もあり、帝都座は大入りを統けた。敗戦直後の食糧難の折とて、何かの配給の行列かと思って並んでいたら帝都座の入口まで来てしまったという話もある。

この一座は、その後浅草のロック座にも出演したが、同年六月には、常盤座の森川信一座公演
「モッちゃんの花嫁」で桜真弓が一糸まとわずの姿で画家のモデルになって登場するに至った

目ざとい興行師連中がこれを見逃す筈はなく、かくしてストリップピショウはたちまち浅草六区に旋風を巻き起し、一大プームを迎えた。このころになるといわゆるストリップ・ティーズ――すなわち動くハダカが始まるわけで、上海帰りのヒ口セ元美をはじめヘレン滝・伊吹マリ・メリー松原などが名を売り始めた。浅草ではストリップ専門として浅草座・大都劇場・ロック座・美人座などが続々と新装開場、昭和二十四年から二十六年ごろにかけてその最盛期を迎えた。フランス座(新築)・カジノ座・公闘劇場・百万弗劇場、それに国際劇場までもがその廊下の一部を利用して国際セントラルという小さなストリップ小屋を作ったほどだった。また新宿でも新約フランス座・東京セントラル・池袋ではアパン・ギャルド、中央方面では東劇バーレスク・銀座コニー、その他江東楽天地、浦田、五反田にも各一軒、それぞれ裸女の制するところとなった。川崎には川崎セントラル、横浜には横浜セントラル、新世界バーレスクといったような小屋もあったがその後どうなったかは知らない。

昭和二十六年の常劇ミュージカルス「モルガンお雪」でもマヤ鮎川、リイ・ローズ、レイなどのストリッパーが出た。これはただ舞台を歩くだけのものであったが、ともかく伝統ある帝劇に堂々とハダカが出たのはこれが最初だ。その後「美人ホテル」、「赤い絨毯」あたりになると京園みどり、アンナ美鈴、K・水町、並木千鶴、暁竜子、ローズ丸山、風ミナ、ミス池上といったい面面が本絡的な踊りを見せるようになった。

ミュージックホールという言葉は、元来十六世紀の終りごろにオランダに出来たムジコ(音楽と踊りのホール)が転化して英語名になったものだという。日本劇場五階の日劇ミュージックホールはもと日劇小劇場といい、戦後はたとえば「ナヤマシ会」の復活公演、川路竜子らの「ドリーム・クラブ」、それから何という劇団か失念したが、菊田一夫の「鐘の鳴る丘」などを演っていたのだが、二十四年のごろからヌードに転向した。伊吹マリ・メリー松原・ヒロセ元美ら一流どころを引抜き、さらに奈良あけみ、マリヤ・ローザ、ジブシ・ロース、邦ルイズ、春川ますみなど統々とスカウト、丸尾長洲らが運営委員となり、丸の内らしく上品ぶったものを見せてきている。

どこの小屋でも、ハダカ踊りの場つなぎにコントなどを挟むのが普通で、当時オチぶれた喜劇役者やまた喜劇役者たらん者はいや応なくこういったストリップ小屋でエロ・コントを演じつつ棲息していた。いまをときめく脱線トリオの八波むと志は浅草フランス座から、由利徹は新宿セントラルからそれぞれ出たものだし、佐山俊二や谷幹一もフランス座にいたのである。
ストリップも最初は女の子がたった数名で、性映画と抱き合せなどしてチャチなものが多かったが、内容も段々充実、題名にも頭を使うようになってきた。「猿飛佐助平マン遊記」、「性部の王者」などはまだいいとして、「女のパクパク」、「女のネパネパ」などという何となく品のないものもあった。その他「煙突の入る場所」、「陽の当らない丘」、「オマンチ族のイカレ」、「火の接吻―イレチョクレ」、「弁天小僧はまぐり屋の場」といったようなタイトルを覚えている。「閨術祭参加作口問」なる肩書きをつけたのもあった。大体映画や歌の題名をモジったものが多いが、中味はどれもこれも同じようなものである。

そのうちただ衣裳を脱いで踊るだけでは客を摑めなくなり、日本髪の着物スタイル〈着物ストリップ)やお下げのセーラー服にしたり、客席ヘ降りてきてお酌のサービスをしたり、女剣劇まがいの剣戟ストリップ、肉強相撃つ女子プロレス、さては舞台に風呂桶をしつらえて全裸の美女の背中を有志の客が流すといったような趣向が試みられた。この風呂場シーンで、女の子が前に当てていた手拭いを面白半分にはいだため本気で怒られた五十がらみの親爺さんもあった。しかしこういったヌードショウも警察の目が厳しくなったせいもあってか二十九年から三十三年ごろにかけて急速に衰退し始めた。このころに転向したストリップ劇場は、浅草では公園劇場・美人座・百万弗劇場・また新宿では新宿セントラル・帝都座ショウなどである。

現在のストリップ・ショウが猥褻性をその目的としていることは間違いのないところだ。すなわち演劇芸術の一つの要素として裸女が登場するのではなくて、そのエロチシズムの効果手段として筋や科白が与えられているのである。もちろん対社会的に見てその作品の芸術性と猥褻性は全く別個に考えられなければならない。その芸術性の高きが故に猥褻性が否定さるべきものではないのである。ところで現行刑法の慨念上からゆくとストリップショウは明らかに猥褻罪の対象として取扱われている。
現在のストリップに将来果して一つの新しい演劇芸術に発展してゆく可能性が存在するであろうか。いわば演劇性が猥褻性を克服してあくまでも新規なドラマとして伸びてゆくであろうかということは議論の別れるところだ。(すでに前記日劇ミュージックホールにおいては、ただ刺戟的な裸体を見せるより全体をムードで包む演出法が試みられている。)これはストリップの本質問題に連なることである。楽観説としては、現在の歌舞伎もその当初阿国歌舞内なる卑しいエロ・ショウまがいのものであったのが徐々に発展してきたものであるから現在のストリップもやがてはそのように発展し、洗練化集大成化されてゆくであろうという。悲観説としては現状ではとてもそのような希望は持てない。ただ好色面のみが強調されて、エロ以外のものはてんで受付けないのがヌードの観客であり、折角コッた演出をしてみても「そんなものを見に来たんじゃねえぞ、早くハダカを出せ」と叫ぶ客が多いいま、「芸術性」なるものの入り込む余地は全くといっていいほどないというのである。後者の悲観説をとる人の方が多いようだ。またこれは私見だが、現在のように歌舞伎・新派・新国劇・新劇・剣劇・曾我廼家劇・軽演劇・ミュージカル等々とそれぞれ多種多様の演劇ジャンルがすでに確立され、その一つ一つが完成もしくは発展しつつ共存している状態のもとでは、いまのストリップがさらに「高級」な芸術として成長し、これら既成の誇芸術に対抗し得るものにまで仲びてゆく可能性は望み簿なのではないかという気もする。ともあれ、残念ながらここ当分の間は出歯亀諸氏の観賞用か、既成演劇のインサート用としての役割しか果せないようだ。

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