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文化の大衆化と大衆文化(演劇)の発展

2014-02-13

かかる大衆は文化に対してどういう行動をとるであろうか。受動的で非合理的な、暗示によって行動する彼等は、貴族的な高級文化や伝統的な民俗芸術に対してソッポを向き、新しい文化的要求は一応持ってはいるのだが、自分みずから文化を創進しようとはしない。したがって今日の大衆文化は上から与えられているのであって、下から生みだされ民衆自身の表現である民俗芸術とは本質的に異っている。高級な、もしくは民俗的な芸術を手っとり早く大衆に与えるためには何か迎合的な加工を施さなければならない。例えば演劇でいえばパロディ方式である。(もっとも、この種のものでは原作はホンのダシである場合の方が多いが〉いわく「お笑い忠臣蔵」、「新版ハムレット」等々……、またあるいは二枚目スターの演ずる「源氏物語」など。
また民謡などにしても洋楽器を用い洋楽風に編曲し、歌詞も新たに作り直さなければ大衆の中へは入ってゆかない。一般大衆が民謡として認識しているそれは、地方郷土における素朴な歌謡ではなくして、ラジオやレコードに聴く唄代的な編曲になり、レコード会社専属歌子の吹込みになるそれである。日本物ばかりでなく、「エル・チョクロ」が「火の接吻」、「アディオス・ムチャーチョス」が「アイ・ゲット・アイデア」となって流行したのもこれと似た事情によるものだが、その他にもたとえば「エリーゼのために」が「情熱の花」、「熊怖の飛行」が「バンプル・プギ」となり、「ボギー大佐」が映同のテーマに使われ「クワイ河マーチ」と名を変えて流行するなど、その道の専門家にしてみれば「原山をぼうとくするものだ」と眉をしかめざるを得ないことだろう。そしてまた「金色夜叉」・「婦系図」・「国定忠治」などの名セリフはむしろマス・コミによるパロディの方で大衆に親しまれている。
こうみてくると、では.既成の「高級」な、または「伝統的」な芸術は現代では全く影をひそめていなければならない。ところが、現代においてもなお歌舞伎・新派・新劇のごとき「高級」な演劇は厳として存在しているのである。つまり現代の大衆の何パーセントかは「高級」なあるいは「伝統的」な文化芸術に浴しているのであれているものがこれである。すなわちかつての高級文化の宇受持であった市民階級に代って大衆が高級文化を観賞するようになったものである。ただ一日に大衆といっても、それはあたかもピラミッドのごとく種々の層があることを銘記しなければいけない。
かように、市民階級が残務し大衆階級が拾頭してくると、それまで市民階級のものであった「高級」な文化が大衆化し、同時に、新たに生れた大衆階級に照応して新たな大衆文化が発展してくる。そこで今日の社会においては、既成の市民文化と新興の大衆文化とが混然とした状態で共存しているのである。であるから現代の文化とは、はなはだ乱脈な雑文化であると称していいだろう。
能や歌舞伎はその背卑俗な民衆芸術たる猿楽の能、阿国歌舞伎からそれぞれ生れたものであった。すなわち当時の権力者であり支配者層であった武家や貴族、中流以上の町人階級の手によって集大成され高級芸術として生れ変ったのである。俄(仁輸加〉もまた庶民の巷間芸術であったが曾我廼家五郎・十郎によって「喜劇」にまで発展、ブルジョア階級の賞するところとなった。かような自らの生活に密策した芸能を持っていた当時の民衆は、現代における、マス・コミに支配され、文化といえば常に上から与えられるものを無抵抗に受入れている大衆とは本質的に異なり、そういう点ではエリートでさえあった。

沢田正二郎の新国劇や井上正夫の演劇道場――いわゆる中間演劇がその当初「大衆とともに」を唱えたのはあまりにも有名であるが、その新国劇から剣劇、またさらにそこから女剣劇という一層大衆性の濃いものが派生した。五郎・十郎の曾我姐家喜劇も五九郎や五一郎によって浅草の大衆のものとなり、またオペラも帝劇から没収へとところを変えればその歌声はたちまちにして一世を風靡した。そして日本の近代化と大衆階級の拾頭がますます顕著になってきた昭和初頭には「カジノ・フォーリー」の出現をみるのである。「カジノ」の出し物は、当時のエロ・グロ・ナンセンスという社会風潮を背景とし、映画・ジャズ・レビュー等の新流行の材料をよせ集めて作ったものであり、破固たる伝統もなく、その意味ではまったく新しい形の大衆演劇であったといえる。このカジノにおける軽演劇は、さらに発展して多くの足跡を残し、その系譜は「笑の王国」、「ムーラン・ルージュ」を経て今日のミュージカルに及んでいる。

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