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後記

2014-02-19

この本はかつて私が早稲田大学に修士論文として提出した「わが国軽演劇の形態」を基にして、これに加筆添削を施して全面的に書き改めたものです。この荒筋のようなものが六分通り出来上った三十六年の三月に突然の火災で自宅が半焼、折角苦心して集めた沢山の資料を大部分灰にしてしまいました。同じ項目の中でところにより詳、不詳の差があるのはそのためです。
一時はまったく出版をあきらめたのですが、ともかく現在わかっていることだけでも――と思い直し、不完全なところは承知の上であえて世に問う次第です。
こういった種類の本としては、さきに旗一兵先生の出された「喜劇人回り舞台」がありますが(その節は私もホンのちょっぴりお手伝いをさせていただきました)、その「あとがき」の文中にもある通り、大体大衆演劇に関する確実な資料文献といえるものははなはだ少なく、そういった意味でこの本も記事の裏付けに予想外の日時と苦労を要しました。
が、それにもかかわらず演劇史といえるほどの立派なものに仕立て上げられなかったのは残念です。
そんなわけで、本文中の不詳、不正確については識者・関係者各位の御教示を願えれば大変幸甚です。いずれ他日を期してより一層正確な資料を作る素材に使わせていただきます。さもなくば間違った記事がそのまま末永く活字として残ってしまいますので。
この一文を書き始めようと決心してからすでに二年近くも経ってしまいました。一つには会社の仕事が忙しかったためもありますが、やはり努力が足りなかったようです。恥ずかしく思っております。
なお、河竹繁俊博士からは序文をいただいたのみでなく全般についてあたたかい御指導御教示を賜わりました。
また取材については左記の方々に資料(写真・談話等〉の提供など、いろいろ御協力いただきました。末筆ながら厚く御礼申し上げます。

浅草座 石田守衛 大久保源之亙 尾崎倉三 笠置シヅ子 金井修 如月寛多 木村光子 越路吹雪 酒井俊 清水金一 早大演劇博物館 曾我廼家五一郎 谷幹一 東郷静男 常磐座 富井照三 中村メイコ 中山千夏 旗一兵 花田繁賊(悔沢竜峯)弘田三枝子 不二洋子 藤山竜一 益田喜頓 三鈴恵以子 森赫子 柳家金語楼 山田寿夫
(五十音順・敬称略)

附和三十七年 晩秋

向井爽也

2014-02-13

河竹繁俊

『日本の大衆演劇』の著者の向井爽也君は、早大の仏文科と政治科を卒業してから、大学院では演劇研究科にはいったので、私どもと一しょに勉強することになった。はじめに提出された研山九計画を見ると「わが国軽演劇の研究」とあった。

これは面白いぞと目をつけていると、向井君そのものが、レヴューの発祥地であるフランスの文学を研究していたらしい、いかにもモダーンな青年。であるのみならず、研究テーマの説明や抱負を聴いてみると、中学時代にはムーラン・ルージュに日参したり、早大在学中にも軽演劇の一座を組織したり、ストリップ劇場に手伝いに行ったことなどもあるという。これだけの前歴、体験歴があれば鬼にかな棒だから、しっかりやりたまえと激励し、大いに期待したのであった。それから二年問、向井君がムズムズコツコツとまとめあげたのが修士論文の「わが国軽演劇の形態」であった。私はじめ三人の審査員が、これは異色だ、見事だと即座に合格の太鼓判を押したのであった。今回のこの著は、その時の論文を基礎にして大増訂を加え、ご覧のように挿絵も豊富に加え、りっぱにまとめられたものなのである。
まず大衆及び大衆演劇なるものの考察にはじまって、大衆演劇の温床である浅草の諸芸能からチャンパラ劇、浅草オペラ、軽演劇の代表エノケンのカジノ・フォーリー、笑いの王国、アチャラカ物、それから戦後のストリップやミュージカル等のショーにも及ぶたいぶな原稿。さすがに、忙しい中で図書館がよいもして、雑誌の零細な記事まで蒐集整理しただけあって、なかなかいいものになっている。
さらに結論的にいうと、この本は二つの大きな意義を持ち、またその使命を相当に果していると思う。
その一つは、資料価値においても貴重だということである。軽演劇とかミュージカルと呼ばれるものは、もっとも大衆的であると同時に、あまりに気安くぞんざいに考えられるために、一枚のプロも失なわれがち、とかくなおざりにされがちで 。したがって、それらの資料を蒐集整理しておいてくれるだけでも、文化史的、演劇史的に見ると、非常に貴重なことなのである。その点、戦後まで及ぼした類書はほとんどないのではなかろうか。ここにこの本の特異性がある。
その二は、この書におさめられた大衆演劇は、将来の新国民劇を示唆する有力な基礎になるであろうということである。というのは、いつの時代の代表的演劇でも、またいまでは古典演劇と言われているものでも、その発現は庶民芸能から出ているからである。典雅荘重な能楽も卑俗な猿楽芸能から芽ばえて芸術的に昇華したものであり、文楽も歌舞伎も庶民芸能から芽ばえて芸術的に昇華したのであった。と同様に、戦後の文化を代表する国民的演劇も(それはいつの日に大成されるかわからないが)、その萌芽は大衆演劇の中に発見されなければならないからである。
右のように、本書は、少なくも二つの特殊な意義を持っているから、大衆演劇や芸能界に関連のある人はもとより、一般文化に関心を持つ人々によって、ひろく読んでいただきたい。これによって芸能関係者は反省と考慮の機会をとらえて、よりよき方向の進展を期し、一般文化人は、大衆演劇をよりよき方向に指導することを念願としてもらいたいからである。

一九六二年 秋日

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