序
河竹繁俊
『日本の大衆演劇』の著者の向井爽也君は、早大の仏文科と政治科を卒業してから、大学院では演劇研究科にはいったので、私どもと一しょに勉強することになった。はじめに提出された研山九計画を見ると「わが国軽演劇の研究」とあった。
これは面白いぞと目をつけていると、向井君そのものが、レヴューの発祥地であるフランスの文学を研究していたらしい、いかにもモダーンな青年。であるのみならず、研究テーマの説明や抱負を聴いてみると、中学時代にはムーラン・ルージュに日参したり、早大在学中にも軽演劇の一座を組織したり、ストリップ劇場に手伝いに行ったことなどもあるという。これだけの前歴、体験歴があれば鬼にかな棒だから、しっかりやりたまえと激励し、大いに期待したのであった。それから二年問、向井君がムズムズコツコツとまとめあげたのが修士論文の「わが国軽演劇の形態」であった。私はじめ三人の審査員が、これは異色だ、見事だと即座に合格の太鼓判を押したのであった。今回のこの著は、その時の論文を基礎にして大増訂を加え、ご覧のように挿絵も豊富に加え、りっぱにまとめられたものなのである。
まず大衆及び大衆演劇なるものの考察にはじまって、大衆演劇の温床である浅草の諸芸能からチャンパラ劇、浅草オペラ、軽演劇の代表エノケンのカジノ・フォーリー、笑いの王国、アチャラカ物、それから戦後のストリップやミュージカル等のショーにも及ぶたいぶな原稿。さすがに、忙しい中で図書館がよいもして、雑誌の零細な記事まで蒐集整理しただけあって、なかなかいいものになっている。
さらに結論的にいうと、この本は二つの大きな意義を持ち、またその使命を相当に果していると思う。
その一つは、資料価値においても貴重だということである。軽演劇とかミュージカルと呼ばれるものは、もっとも大衆的であると同時に、あまりに気安くぞんざいに考えられるために、一枚のプロも失なわれがち、とかくなおざりにされがちで 。したがって、それらの資料を蒐集整理しておいてくれるだけでも、文化史的、演劇史的に見ると、非常に貴重なことなのである。その点、戦後まで及ぼした類書はほとんどないのではなかろうか。ここにこの本の特異性がある。
その二は、この書におさめられた大衆演劇は、将来の新国民劇を示唆する有力な基礎になるであろうということである。というのは、いつの時代の代表的演劇でも、またいまでは古典演劇と言われているものでも、その発現は庶民芸能から出ているからである。典雅荘重な能楽も卑俗な猿楽芸能から芽ばえて芸術的に昇華したものであり、文楽も歌舞伎も庶民芸能から芽ばえて芸術的に昇華したのであった。と同様に、戦後の文化を代表する国民的演劇も(それはいつの日に大成されるかわからないが)、その萌芽は大衆演劇の中に発見されなければならないからである。
右のように、本書は、少なくも二つの特殊な意義を持っているから、大衆演劇や芸能界に関連のある人はもとより、一般文化に関心を持つ人々によって、ひろく読んでいただきたい。これによって芸能関係者は反省と考慮の機会をとらえて、よりよき方向の進展を期し、一般文化人は、大衆演劇をよりよき方向に指導することを念願としてもらいたいからである。
一九六二年 秋日